アルくんのシンプルライフ

夫婦旅と料理が好きなアルくんが平凡な日常をメモします。

MENU

【旅のメモ5】プラハ、ハルシュタット、ウィーンのレンタカー旅

夏のバカンスシーズンに、チェコプラハからオーストリア湖水地方ザルツカンマーグートへ、そしてウィーンに至るレンタカー旅を計画しました。

2つの国をまたぎますが、レンタカーで移動する距離は1日300キロ程度。無理のな

い日程にしました。日本国内を旅するのと同じような感覚で目的地を選んでみました。詳しくはこちらにメモしてあります。

arukun109.com

■旅程表

(前半)

【復路】東京→プラハ空港

プラハ(2泊)

 ↓ レンタカー

チェスキークロムロフ

 ↓ レンタカー

(ここから後半)

ハルシュタット湖ザルツブルク(3泊)

 ↓ レンタカー

ウィーン(2泊)

【復路】ウィーン空港→東京

旅行初日の7月13日(成田からプラハへ)

成田空港からイスタンブール経由でプラハに向かいます。

空港から市街地までウーバーで移動しました。

プラハ旧市街のホテルに投宿しました。ホテルは、「王の道」という歴代の王が戴冠パレードで通った由緒ある通りに面しています。

暗くなってきても観光名所の「王の道」はにぎやかです。

真夜中になってもにぎやかでした。

旅行2日目の7月14日(プラハ旧市街散策)

モーツァルトの生涯を描いた映画「アマデウス」を覚えている方も多いと思います。古い街並みが保存されているプラハが、あの映画のロケ地になっています。

市内には、カフェモーツァルトというケーキの美味しい店もありました。

プラハの街は、南北に流れるヴルタヴァ川によって東の旧市街と、西の高台にあるプラハ城の2つにわけることができます。この日は、東の旧市街を散策しました。

まず、ヴルタヴァ川にかかるカレル橋に向かいます。対岸の高台にプラハ城が見えます。

カレル橋の両端に、大きな塔と門があります。

明日はこの門を通ってプラハ城に向かいます。この日はユーターンして東の旧市街を散策します。

美しい石畳でした。

旧市街の中心にある、旧市街公園です。右の像は聖人のヤン・フス像。左の2つの塔は、聖ミクラーシュ教会です。

こちらはティーンの前の聖母教会。ゴシック様式の尖塔があります。

観光地でよく見かけるパフォーマーがいました。動かないでよく我慢できますね。

ミュシャ(ムハ)の美術館を訪れました。

夕方、人形劇のオペラ「ドン・ジョヴァンニ」を観劇しました。言葉がわからないこともあり、ちょっと残念でした。

チェコはビールの副原料であるホップが名産です。ジャテツ地方はホップのおかげで世界遺産に登録されているそうです。という訳で、ビール美味しかったです。

旅行3日目の7月15日(プラハ城を散策)

この日は、カレル橋を渡った西側の高台にあるプラハ城を訪れます。

↓ホテルの朝食会場。歴史を感じます。

社会主義だった時代のことは知りませんが、宿泊客をもてなすことに熱心なようです。

カレル橋は歩行者専用になっていて、橋の両側に、ヤン・フスをはじめとする計30の聖人像があります。

橋の東岸へ。トラムが行き交います。

坂道でミュージシャンが演奏していました。

坂道を登って、プラハ城の正門にやってきました。毎時ちょうどに衛兵の交代式が執り行われます。

 

バッキンガム宮殿のとは、だいぶ趣が異なります。

この地図の左端が正門。中央の黒っぽい建物が、聖ヴィート大聖堂です。右のほうに、フランツ・カフカが暮らしていた黄金小路があります。

聖ヴィート大聖堂。もともと930年に建てられました。14世紀のカレル4世の時代に、今あるような姿に改築をはじめ、長い年月をかけて完成させたものです。

旧王宮にあるヴラディスラフホール。縦62m、横16mもある大広間です。屋内で馬の競技が行われたそうです。

プラハ城から見た旧市街。ティーン教会のゴシック様式の尖塔が見えます。

聖イジー教会。プラハ城内に現存するもっとも古い教会で920年に建てられたそうです。

歴史を感じます。天井に木材を使っています。

いつの時代のデザインなのか不明ですが、かわいい天使像?がありました。

左の青い家が、フランツ・カフカが仕事場としていた建物です。

プラハ城に隣接するカレル庭園。

理由はわかりませんが、フクロウがたくさんいました。

続いて、聖ヴィート大聖堂を見学します。天井の高さが印象的でした。

祭壇とステンドグラス。

ミュシャ(ムハ)の手がけたステンドグラスも残されているそうです。

続いて王宮美術館へ。宮廷画家のクラーナハなどの作品がありました。この主題の絵を見るたびに、リンゴを食べることはそんなに悪いのかなあ、と不思議な気がします。

プラハ城の見学を終えて、東側の旧市街に戻ってきました。

聖ミクラーシュ教会で20時から開かれるコンサートを聴きました。

演目は、モーツァルト交響曲ニ長調プラハ」、ドヴォルザークなどでした。「プラハ」は1787年にプラハで初演されたとのこと。ドヴォルザークは言うまでもなく、チェコを代表する作曲家の1人です。

プラハは美しい街でした。20年ほど前に春江一也著『プラハの春』という壮大な物語を読んで、ぜひ訪れたいと思っていました。プラハ市民がソ連軍に弾圧された1968年当時の混乱ぶりは想像もつきません。今では、古い街並みを活かした、魅力的な観光都市になっています。またいつか訪れてみたいと思いました。

旅行4日目の7月16日(レンタカーでプラハからハルシュタット湖へ)

この日は、プラハ空港でレンタカーを借りて、オーストリア西部まで移動します。

ああ、苦手な左ハンドルです。仕方ありません。

プラハから200キロほど南下して、オーストリアアルプスの麓にあるハルシュタット湖に向かいます。途中、チェスキークルムロフというチェコの古都に立ち寄ります。

御膳9時30分にプラハ空港のパーキングを出発しました。

カーナビはついていませんでした。アメリカで購入したGarmin社のカーナビを持参したので助かりました。

この車は240kmまでスピードメーターに表示されます。以前、ヨーロッパで知人の車に乗ったとき、急加速ぶりに驚愕したことがあります。もちろん安全運転で行きます。

ボヘミア地方にある古都・チェスキークルムロフに着きました。世界遺産です。

大きく蛇行するヴルタヴァ(モルダウ)川が、天然のお堀のように街を取り囲んでいます。

街全体が中世のおもかげを残しています。この街のことを「眠れる森の美女」とたたえる人もいるそうです。


街のあちこちからお城の塔が見えます。

チェスキークルムロフの街を散策し、ランチを食べて、運転再開。いよいよオーストリアに入ります。

ようやくこの日の投宿地・ハルシュタット湖が見えてきました。

ハルシュタット周辺は、ザルツカンマーグート地方と呼ばれる湖の多い地方です。映画「サウンドオブミュージック」で修道院からやってきた家庭教師のマリアが、トラップ大佐の子どもたちと過ごした場所でもあります。

サウンドオブミュージック」にも登場する登山電車があるザンクト・ヴォルフガング、由緒ある温泉地のバートイシュルなどなど観光地の多い、風光明媚な場所です。

ハルシュタットのこのホテルに3泊します。

ハルシュタットは想像以上に美しい街でした。

時間が経つのを忘れて、青に変わっていく湖面をながめていました。

旅行5日目の7月17日(ハルシュタット塩坑ツアー、ザルツブルク

この日は、ハルシュタット塩坑を訪れます。

ザルツカンマーグートは、塩とゆかりの深い土地です。日本語にすると「塩の宝庫」です。中心都市のザルツブルクは「塩の城」。塩だらけです。

ザルツブルク大司教は、近郊で産出される塩の取引で莫大な富を得ていたとされます。この地域で塩が採れなかったら、モーツァルトの才能は、見出されなかったかもしれません。

塩坑は、ザルツブルクから南に20キロのハラインや、ハルシュタットにも残されています。どちらも岩塩坑の中をトロッコにまたがって降りていく体験ができます。

今回は、ハルシュタット塩坑に入ります。ハルシュタット湖のほとりにあるケーブルカー駅から、塩坑入り口まで登ります。

9時45分スタートのガイドツアーに参加します。

まず、作業着を身に着けます。

ガイドさんです。ハルシュタットは塩が採れたので紀元前1000~500年ころから人類が定住し、さまざまな遺跡が残っているそうです。

塩坑を歩いて奧に進みます。

塩坑内は、低湿度で気温が一定のため、絵画などの保管に適しているそうです。ナチスドイツは、ヨーロッパじゅうから接収した絵画を、この近くのアルトアウスゼー塩坑に保存していました。1万点もの名画が、無事に保管・返還されて本当によかったです。

塩坑を奥に進むと、塩の掘削を行う作業者が使った、深い場所に行くための滑り台がありました。

ハルシュタット塩坑は今でも一部は現役で操業中ですが、ここはアトラクション。信号が青に変わったら出発。大声を出して滑り落ちていく途中、記念写真を撮影されます。

スピードが出て、けっこう楽しめました。

塩を掘っている人形がいました。現在では、塩を水で溶かして高濃度の塩水を外に出し、乾燥させているそうです。

最後は、トロッコにまたがって外に出ます。入り口よりも、滑り台の分、低い穴から出てきました。

ガイドさんが言っていた、数1000年前の遺跡も展示されていました。

ハルシュタット湖を見下ろす展望施設がありました。

ハルシュタットの教会や、街並みが見えます。

ケーブルカーでハルシュタット湖畔に戻ります。

午後は、レンタカーに乗って、ザルツブルクに向かいました。

ザルツァッハ川の向こうにホーエンザルツブルク城塞が見えます。神聖ローマ帝国皇帝と、ローマ教皇叙任権闘争で争っていたころ、ローマ教皇側についていたザルツブルク大司教が築いたそうです。宗教と権力は昔から結びついていたことを再認識します。

街はどこに行ってもモーツァルト一色です。

モーツァルトの生家。1階はコンビニのSPARになっています。サンドイッチやサラダ、飲み物、土産物などを売っています。

メイン通りのゲトライデガッセ。カワイイ看板がたくさんありました。

老舗のカフェでひとやすみしました。

大聖堂。モーツァルトはここで洗礼を受け、オルガン奏者となったそうです。

ザルツブルクモーツァルト像。

ザルツブルクからレンタカーで、ハルシュタットのホテルに戻りました。

⇒次のページへ

旅行6日目の7月18日(映画「サウンドオブミュージック」の舞台散策)

この日は、雄大な自然が広がるザルツカンマーグートを散策します。好天に恵まれました。

ハルシュタット湖南東にあるロープウェイ乗り場に向かいます。

ここは北斜面です。スキーシーズンなら多くのスキーヤーで賑わうことでしょう。

訪れたのは7月。高山植物を見かけました。

この岩山に大きな洞窟が広がっていて、夏なのに氷柱のある大氷穴になっています。

気温は0.82度と表示されていました。

10時30分スタートのガイドツアーに参加して穴の中に入ります。

7月なのに、りっぱな氷柱です。

ライトアップされた氷を見ながら進みます。

ああ、寒かった。皆さん、ずいぶんと着込んでいるようですね。

この大氷穴のとなりにマンモス洞窟という別の洞窟がありました。マンモスがいたのではなく、とても大きいからこの名前になっているそうです。

12:00スタートのガイドツアーに参加しました。

探検隊を表す人形展示↓ こういう洞窟や、鍾乳洞、水中洞窟を探検する人たち、尊敬します。よくやると思います。

詳しくはわかりませんが、アルプス山脈が隆起する過程で、ここで化石が発掘されるようになったようです。

斜面に出ました。眼下にハルシュタット湖が見えます。ザルツカンマーグート地方らしい山並み。「サウンドオブミュージック」のトラップ一家もこういう風景を見ていたのでしょうか。

ファイブフィンガーズという名称の展望台があります。指のように突き出した展望台が5本あります。

先端から見るとこんな感じです↓

ロープウェイでハルシュタット湖畔に戻ります。

ハルシュタットの街を散策します。

尖塔が美しいルーテル教会

明るい教会内部。プロテスタントなのでしょう。

ハルシュタット湖ではライナンケというニジマスに似た淡水魚がとれます。

井戸にも歴史を感じます。

店先をネコが歩いていました?

絵葉書の中に迷い込んだかのような美しい街でした。

 

旅行7日目の7月19日(レンタカーでハルシュタットからウィーンへ移動)

この日は、朝からレンタカーにのり、ハルシュタットからウィーンまで移動します。距離は280km、およそ3時間半の予定です。

途中、ドライブインで休憩しながら進みます。

なんとか無事にウィーン到着。レンタカーを返却してホッとしました。

荷物をホテルに預けて、ウィーン散策に出かけました。

ハプスブルク家の王宮です。

王宮内部に銀皿やワイングラスなど膨大な数の食器が展示されています。

ハプスブルク家の実質最後の皇帝となったフランツ・ヨーゼフ1世(左、在位1916まで)の部屋や、妻・エリザベート(右、愛称シシィ)の愛用品を集めた展示もあります。体型を保つための運動器具が展示されていて、皇后として他人から注目される人生も大変なんだろうな、と感じました。

さて、体型をさほど気にする必要のない我々は、デメルにやってきました。王宮の目の前にあります。

店内の雰囲気にも伝統を感じます。

どれを見ても甘そうです。

どれを食べても甘かったです。

ケーキは店内で作っているようでした。

ウィーンのシンボル・シュテファン寺院(大聖堂)を訪れました。

荘厳です。

パイプオルガンの鍵盤。

ウィーンの中心部は、かなりコンパクトにできています。直径1.5~2キロ弱のリンクという環状道路の中に、王宮もシュテファン寺院も、オペラ座も入っています。

シュテファン寺院の次はそのまま歩いて南下。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の本拠地である楽友協会(ムジークエライン)に向かいます。街の南を走るリンクです↓

音楽の聖地です。ただし、訪れた7月はウィーンフィルハーモニー管弦楽団の定期コンサートはありません。雰囲気だけでも味わおうと、ウィーン・モーツァルト・オーケストラという楽団のチケットを予約しました。

ニューイヤーコンサートの会場として知られる黄金のホール↓ 豪華です。

帰りはウーバーでホテルまで戻りました。

旅行8日目の7月20日(ウィーン市街散策)

この日はウィーンの美術館や、シェーンブルン宮殿を訪れます。

地下鉄に9駅乗って、シェーンブルン駅に向かいます。

マリアテレジア。顔がでかくてはみ出そうです。威圧感ありますね。

シェーンブルン宮殿。広いです。

お土産売り場。

再び地下鉄にのって、市街に戻ります。

リンクの南に広がる食料品市場・ナッシュマルクトを訪れました。

八百屋やチーズ専門店、レストランなどが並んでいます。

ランチとビールをいただきました。

午後は、美術史美術館を訪れました。

中央階段をのぼったところに、

グスタフ・クリムトの壁画があります。↓古代エジプトの女神

古代ギリシアの女神

ブリューゲルバベルの塔」(1563年)↓

だまし絵の先駆的作品 アルチンボルド「夏」(1563年)↓

ベラスケス「青いドレスのマルガリータ王女」の一部(1659年)。この絵を見ると、ああハプスブルクだな、と条件反射で感じます。

リンクの東にある市立公園に向かいます。

のんびり過ごすにはすてきな公園です。

ワルツ王・ヨハン・シュトラウス2世像。

ブルックナー

シューベルト像。公園の像を見ていても、ウィーンは音楽の都であることを実感します。

リンクを走るトラム。


旅行9日目の7月21日(ウィーンから成田へ)


この日は昼過ぎまでウィーン市街を散策し、夕方の便で成田に戻ります。
市の中心部にあるペーター教会↓

美しいバロック様式の教会です。

ペーター教会とシュテファン大聖堂の近くにあるペスト記念碑。1673年年に猛威を振るったペストが終息したことを祈念して、マリアテレジアの祖父・レオポルド1世が建てたのだそうです。

地下鉄に乗って南西部にあるのみの市を訪れました。毎週土曜日に開催しています。

ラクタのようなものから骨董品まで。さまざまな品物が出ていて、眺めて歩くだけで楽しいところです。

国立オペラ座の向かいにあるザッハーを訪れます。ザッハーホテルと↓


ホテルの隣に、カフェザッハーがあります。



デメルが王宮御用達の菓子店であるのに対して、ザッハーはホテルとカフェの老舗。

チョコレートケーキのザッハトルテは、ザッハーがレシピを作ったので、当初はザッハーだけで食べることができました。その後、ザッハーのホテルが経営難で困っているときに、援助を申し出たデメルに対して、お礼として秘伝のレシピが伝わったのだとか。

最後に国立オペラ座の内部見学ツアーに参加します。



まずは座席に座って解説を聞いてから、あちこち巡ります。

舞台袖です。

りっぱな緞帳。

ランプシェードもデザイン性が高い気がします。

15時30分のリムジンでウィーン空港へ。イスタンブール経由で帰国しました。

■旅行費用概算(2人分)

航空券 1人往復11.2万円×2人=22.5万円

ホテル 7泊で8.9万円

レンタカー 4日で5.8万円

小計 37.2万円(食費、入場料、お土産代などを除く)

長いメモになってしまいました。最後までお読みいただきありがとうございました。