ゴールデンウィークにイタリア鉄道旅行をしたときのメモです。旅行プランは、↓ここにメモしたように、日本国内での移動時間を参考にしながら訪問都市を選びました↓
鉄道の予約は、すべて日本から、ヨーロッパ専門の鉄道・バス予約サイト「Omio」でポチっと予約しておきました。レイルヨーロッパなどほかのサイトとも価格の比較をしていますが、Omioがいちばん安くて使いやすいです。Omioはこちらです↓
- 旅行初日の4月23日(成田からローマへ)
- 旅行2日目の4月24日(ローマからベネチアへ)
- 旅行3日目の4月25日(ベネチア散策)
- 旅行4日目の4月26日(ベネチアからフィレンツェへ)
- 旅行5日目の4月27日(フィレンツェ散策)
- 旅行6日目の4月28日(フィレンツェ散策)
- 旅行7日目の4月29日(フィレンツェからナポリへ)
- 旅行8日目の4月30日(ナポリ、ポンペイ散策)
- 旅行9日目の5月1日(ナポリからローマへ)
- 旅行10日目の5月2日(ローマ散策)
- 旅行11日目の5月3日(ローマ散策)
- 旅行12日目の5月4日(ローマから成田へ)
■旅程表
【復路】東京→ローマ空港
ローマ(1泊)
↓ 鉄道
ヴェネツィア(2泊)
↓ 鉄道
フィレンツェ(3泊)
↓ 鉄道
ナポリ(2泊)
↓ 鉄道
ローマ(3泊)
【復路】ローマ空港→東京
旅行初日の4月23日(成田からローマへ)
ゴールデンウィークより少し前倒しで有給休暇をいただきました。上司や同僚の皆さん、ありがとうございます!
成田からローマにアリタリア便で向かいます。↓この画像だけ見て、何かに気づいた人、さすがです。
今どきロシア上空を飛ぶ西側エアラインなんてありません。このときは、シベリア上空を飛んだので、成田からローマまでほぼ直線コースでした。ローマまでの距離は6150マイル(9915キロ))、フライト予定時間は12時間弱でした。
今は、ロシア領空を避けて大きく南回りでフライトするので、2時間くらい多くくらいかかります。(でも、ローマまでのフライトで得られるマイルは6150マイルで、シベリア経由と変わりません。)
しかも、アリタリア航空はコロナ期の2021年10月に経営破綻しました。2024年8月現在、日本とローマを結ぶ直行便は運行されていないそうです。コロナの影響甚大ですね。
というわけで、アルくんたちは、ウクライナ前、アリタリア破綻前、という2つの意味でいい時期にイタリア旅行できました。やはり、旅行は行けるときに行くのがいちばんいいですね。
ローマのフィウミチーノ空港からテルミニ駅までは、レオナルドエクスプレスで32分です。
この日は、イースター(復活祭)で、ローマのあちこちが、キリスト教徒であふれかえっていました。
旅行2日目の4月24日(ローマからベネチアへ)
この日は、昼過ぎの鉄道でローマから鉄道でベネチアに移動します。午前中、バチカン周辺を散策しました。イースターのためか、朝から多くの人がサン・ピエトロ大聖堂前に集まっているのが見えます。
テヴェレ川にかかるサンタンジェロ橋の北、サンタンジェロ城を訪れます。
橋の上に立っている天使像。
サンタンジェロ城と呼ばれていますが、もともとローマ帝国皇帝の墓として作られたものを、要塞としても使った歴史があるそうです。
巨大な蜂?の像がありました。何か意味があるのだと思いますが、よくわかりません。
サンタンジェロ城の頂上には、大天使ミカエル像がそびえています。
テヴェレ川とローマの街並みが見えます。
500mほど東に歩いて、ナヴォーナ広場を訪れました。ベルニーニ作の噴水があります。
電車の時間が近づいてきたので、バスでテルミニ駅に向かいます。
ローマ12:45発の特急でベネチアに移動します。所要時間3時間48分でした。
16時33分、ベネチア駅に到着しました。
駅前の広場。左に黄色いボート乗り場があります。
鉄道駅近くのホテルに荷物を預けて、さっそくベネチアを散策します。
ゴンドラ乗り場です。
↓ベネチアらしい仮面ですが、果たして誰が買うのでしょうか?
古い街並みのあちらこちらで、聖母子像を見かけました。マリアの象徴である、白いユリをお供えしている人がいるみたいです。
ジェラート。ついつい食べてしまいますね。
リアルト橋に着きました。駅周辺からリアルト橋まで2キロ弱です。
サンマルコ広場まで歩いて、この日はホテルに戻りました。
だんだん日が傾いてきました。
夕陽が差すと、街にいっそう彩りが加わります。
旅行3日目の4月25日(ベネチア散策)
この日は、1日ベネチアを散策します。
毎年4月25日は、ベネチアの守護聖人であるサン・マルコの日です。紀元68年4月25日に、聖書の著者である聖マルコがなくなったとされることにちなむ宗教行事と、1945年4月25日にイタリアが独立した時の解放記念日のお祭り、聖マルコの墓の横にはえていたバラが対立していた2家族を結び付けて青年が少女にバラを贈ったという言い伝え、などが混ざり合って、ベネチア特有の祝い方をするそうです。具体的には、4月25日、ベネチアでは男性から女性に1本の赤いバラを贈ります。
2024年4月25日からは、オーバーツーリズム対策として、夏季の週末などにヴェネチアを日帰り訪問する人に対して、1人1日5ユーロの入島税をかけるようになりました。宿泊客は事前に申請すれば課税が免除されるそうです。
旅行メモに戻ります。まず、ヴェネツィア総督の館だったドゥカーレ宮殿を訪れました。
黄金の階段。
豪華な装飾です。
共和国時代のヴェネチアを統治していた評議員が集まった「大評議会の間」。右の大きな壁画が、ティントレット「天国」。世界で一番大きな油絵と言われています。
宮殿の南に海が広がります。
ライオンの口。
宮殿内に裁判所、牢獄までありました。
改めて、塩野七生さんがベネチアの盛衰を描いた「海の都の物語」を読み返したくなりました。
続いて、ドゥカーレ宮殿に隣接するサンマルコ寺院へと思ったのですが、祝日のためか入場できません。
そこで、サンマルコ広場にあるコッレール博物館を訪れました。
こちらも立派な建物です。
コッレール博物館のベランダからサンマルコ広場をみたところ。正面がサンマルコ大聖堂と鐘楼が見えます。
鐘楼の右、日陰になっているところに、キャサリン・ヘップバーン主演「旅情」の舞台となったカフェ・フローリアン(1720年創業)があります。
続いて、アカデミア美術館を訪れます。
ティツィアーノ、ティントレットなどイタリア絵画がたくさん展示されています。
船に乗って、サンマルコ広場の南西対岸にあるサンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会へ。デッラ・サルーテは「健康」です。
美しいクーポラが目を引きます。
続いて、カ・レッツォーニコ(レッツォーニコ宮殿)へ。かつてティッツィアーノがアトリエを構えていた場所に、18世紀に建てられたバロック様式の館で、18世紀の美術品や調度品などが展示される博物館となっています。
カ・レッツォーニコは運河に面しています。
このあたりの屋敷にはゴンドラの船着き場が。
街をさまよっていたら、ガラクタ含む小物を売る店がありました。
夕方、ゴンドラにのりました。漕ぎ手はアントニー氏43歳。
30分かけて、カサノバの家、リアルト橋などを巡ってくれました。
ありがとう、アントニーさん。
旅行4日目の4月26日(ベネチアからフィレンツェへ)
この日は、午後14時27分発の電車でベネチアからフィレンツェに移動します。その前に、前日、入場できなかったサンマルコ寺院を訪れます。
内部はモザイク画で埋め尽くされています。
階段をのぼります。
サンマルコ寺院のバルコニーに展示されている4頭の馬像。
バルコニーから東を見たサンマルコ広場。
バルコニーから南を見た小広場。
まだ少し時間があったので、水上バスのヴァボレットに乗ってみました。
サンマルコ広場から、リアルト橋の北にあるカ・ドーロまで乗ります。
カ・ドーロ(黄金の館)から歩いてホテルまで戻ります。
イタリア国鉄でベネチアからフィレンツェへ。所要時間2時間弱でした。
フィレンツェ駅に到着しました。
この時は、少し背伸びをして、ルネサンス期からあるメディチ家の邸宅を改装したホテルを選びました。
部屋も内装もおしゃれで落ち着くホテルです。
ホテルに荷物をおいて、フィレンツェを散策します。このレプッブリカ(共和国)広場を街歩きの拠点にしました。カルーセルのあるにぎやかな広場です。
レプッブリカ広場から南に進み、シニョリーア広場へ。フィレンツェ共和国政庁舎として使われたヴェッキオ宮があります。
この時は、特定の日に限り、フィレンツェの美術館が夜間(19時から22時30分)だけ無料で開放されていました。そのことを事前に調べていたので、この日の夜は美術館巡りをします。この無料開放制度はたびたび変更されているみたいです。
「フィレンツェ 美術館 夜間無料開放(Firenze Musei Ingresso serale gratuito)」として検索すると運がよければヒットするかもしれません。
この時は、19時05分にサンマルコ修道院、19時30分にアカデミア美術館、20時10分にウフィッツィ美術館、21時50分にメディチ家礼拝堂を回り、22時30分、ホテルに戻りました。忙しい夜になりました。
まずサンマルコ修道院に向かいます。
修道院の回廊
サン・マルコ美術館の階段を2階に登ったところにフラ・アンジェリコ「受胎告知」が展示されています。が、撮影できませんでした。
続いて、ウフィッツィ美術館へ。ここも撮影禁止です。
大勢の美術品好きが集まっていました。