アルくんのシンプルライフ

夫婦旅と料理が好きなアルくんが平凡な日常をメモします。

MENU

【旅のメモ7】イタリア4都市 鉄道旅行page2

前のページに戻る

旅行5日目の4月27日(フィレンツェ散策)

フィレンツェの邸宅ホテルに泊まっています。

ホテル朝食は豪華でした。

美味しかったです。

この日は1日フィレンツェを散策します。ベッキオ宮殿、ピッティ宮殿、ウフィッツィ美術館、サンタマリア・デル・フィオーレを訪れます。

まず、シニョリーア広場のヴェッキオ宮へ。共和国時代に市民会議が開かれた「五百人広間」です↓

ウフィッツィ美術館の窓から見たヴェッキオ橋↓

橋を渡って南のピッティ宮に向かいます。

金銀細工師のチェッリーニ像。橋の上は貴金属店、宝石店が並びます。

ピッティ宮のパラティーナ美術館

豪華な宮殿でした。

ヴェッキオ橋の北に戻り、予約しておいたウフィッツィ美術館へ。廊下だけ撮影しました。

ランツィの回廊屋上から見たドゥオーモ。これからドゥオーモを訪れます

ドゥオーモのサンタ・マリア・デル・フィオーレ。華やかな建物です。

巨大です。

これからクーポラに上ります。

450段くらい石段を上ります。

近づいてきました。

最後の出口。ここが混んでいました。

すばらしい見晴らしです。「冷静と情熱のあいだ」を思い出します。

混雑を避けて午後5時過ぎにクーポラに上ったのがよかったみたいです。

旅行6日目の4月28日(フィレンツェ散策)

この日も1日フィレンツェを散策します。

アルノ川南岸西方向にある、サンタマリア・デル・カルミネ教会(ブランカッチ礼拝堂)に向かいます。

ブランカッチ礼拝堂。フレスコ画全体のテーマは、聖ペテロの生涯で、↓写真左にマザッチョ「アダムとイブの楽園追放」があります。

楽園追放の対面にはマゾリーノ「原罪」。

続いて街の東方向にあるサンタ・クローチェ教会へ。道が広いところではバスも見かけます。

サンタ・クローチェ教会には、ミケランジェロガリレオなどの墓があります。

内部は広々としています。

ガリレオのお墓です。

ミケランジェロのお墓です。

続いて街の中心部に戻り、ドゥオモ隣にあるサンジョヴァンニ洗礼堂へ。

天国の門」のレプリカがあります。

天井はモザイク画になっています。

神を信じない人はこうなる、と人々に説いたのでしょうか↓

続いてメディチ・リッカルディ宮へ。


メディチ家が暮らしていた宮殿です。

旅行7日目の4月29日(フィレンツェからナポリへ)

この日は10時10分発の電車でフィレンツェからナポリ向かいます。

朝、メディチ家・礼拝堂の北にある中央市場を訪れました。バルサミコ酢やスタークラスコなどイタリア食材のお土産を買い込みます。

フィレンツェからナポリまでちょうど3時間でした。

ナポリ駅近くのホテルに荷物を預けて、バスで卵城(カスレル・デローヴォ)へ向かいます。サンタルチア港に突き出た要塞で、12世紀に建てられたそうです。

城のはるか東に、紀元79年の大噴火でポンペイを火山灰でしまったヴェスヴィオ火山が見えます。

サンタルチア港。景勝地です。

ヌオーヴォ城。ナポリ王の居城でした。

アーケード街のガレルア・ウンベルト1世。

麓の駅からフニコラーレ(ケーブルカー)でヴォロメの丘に登りました。

眼下に先ほどに卵城が見えます。

適当に階段を下りれば元の場所に戻れると甘く考えていたのですが、道に迷ってしまいました。フィリピンからイタリアにきていたノーマンさんに道案内してもらい、何とか下山できました。

鉄道でナポリ駅に戻りホテルに帰りました。ノーマンさんありがとうございました。

旅行8日目の4月30日(ナポリポンペイ散策)

この日は、鉄道とバスを乗り継いでアマルフィを訪れる予定でした。

まず鉄道で東にむかい、サレルノ駅へ。そこでバスに乗り換えます。

バスは快調に海岸沿いを走っていたのですが・・・

なんと交通事故で動けなくなりました。

こういうとき、2人だけの個人旅行は便利です。アマルフィはあきらめて、2つめの候補だったポンペイに向かうことにしました。バスを乗り換えます。

ポンペイ遺跡へはポンペイ駅から歩いてすぎ近くです。

小雨交じりの天気でした。最初からポンペイにきていたほうがよかったかも。

古代の車輪でできたと思われる轍(轍)が、今も石畳に残っています。

降り積もった火山灰に残っていた空間から、ポンペイ市民の姿を再現した模型があります。

保存状態のよい壁画も残っています。

今も、発掘は続けられているようです。

次のページへ